2015/01/28

第53冊&第54冊 意識の奥底から聞こえる「声」『神に追われて』&『ドグラ・マグラ』




神に追われて: 谷川 健一

怖い本です。


民俗学の権威がフィールドワークの中で、
実際に出会った神がかりの人の半生を
まとめた本。


つまり、実話から成っているわけです。


絶版ですが、プレミアがついて取引されるくらい、
ソチラの世界に興味のある方は読みたがる本なのです。

谷川健一の全集にも収められているので、
お金かかっても良ければ、読むこと自体は
難しくありません。

普通に暮らしている人間からすると、
神がかりというと、

「神秘体験とか、超能力とかに
事欠かなくなるってこと?
刺激的な毎日を過ごせそうで、ちょっと
羨ましいかも」

みたいなイメージがある方もいらっしゃるかと
思いますが、この本で登場する人々の生活は、
もはや「刺激的」なんてものじゃありません。


本書に登場する神に憑依された人間(カンカカリヤ)の、
「普通の幸せ」は、彼らの頭の中から呼びかける
神の声によって、ズタズタにされていきます。

神の声、といえば、これですね。

 →参考:第7冊 神は、まだそこにいるのです
 『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
神に仕える役目を一方的に負わされ、自殺すると言えば
娘の命をとると脅され、神の声に従っての奇行から
結婚生活も破綻し、しぶしぶその声に従うカンカカリヤ、
「根間カナ」の姿を知り、それでも神がかりになりたい、
というのは相当な覚悟がいるでしょう。

途中、他の霊能者との霊能合戦まで勃発したり、
本当に大変です。ちなみに、霊能合戦は、前に
以下の本で見たような戦いと、やっぱり似ていたりします。


 →参考:第38&39冊 今も昔も超能力戦争だ!
 『洗脳原論』&『性と呪殺の密教』



その後、根間カナが、普通の医学や他の霊能者の手にあまる
相談事を引き受けるなど、カンカカリヤとして暮らし、様々な
トラブルを引き受けている様なども描かれます。


神の声に従ったおかげで、死期の近づいていた母が持ち直したり、
思春期の大半を全身をおそう痛みとの闘いで過ごした少女が
根間カナとの出会いでようやくその苦しみから解放されるなど、
いくらかの救いはありますが、何とも、壮絶。


この、個人の願う幸福や意思というものを、自分の奥底から
響く声がズタズタに破壊していく、という怖さは、どこかで
知っているな、と思ったのですが、ハタと思いだしたのが、
『ドグラ・マグラ』の中に登場する「心理遺伝論」であります。


こちらは電子書籍で読めますし、ある意味で推理小説でも
ありますので、あまり詳しく触れるのも野暮なので、未読の
方はぜひ、ご一読を。


ドグラ・マグラ 電子書籍: 夢野 久作


2015/01/27

第52冊+α 撃墜王vs.航空技術者 技術論なのに生きざまを問うてくる 『零戦の秘術』

いよいよ最後の質問である。
「果たして坂井三郎は左捻り込みで何機墜としたのであろうか」
私は答えを予想していた。
坂井とは長い付き合いである。少しずつ、 少しずつ、私は
この答えに近づいていた。

そして質問をする頃には、答えを知っていると確信していた。
それだからこそ、この質問をするのが怖かった。(p362)

 

生き延びた英雄



零戦の秘術 加藤 寛一郎


坂井三郎、という、第二次大戦において活躍した
大日本帝国のパイロットのことをご存じでしょうか。
月並みな言葉になりますが、大戦初期~中期の
代表的なエースパイロットのひとりです。


おもに海軍のパイロット時代のことを書いた
『大空のサムライ』という著書は、国内はもちろん、
翻訳されて海外でもベストセラーになっています。


大空のサムライ―かえらざる零戦隊: 坂井 三郎

少々、辛口すぎたりするもので、毀誉褒貶も激しい
ようですが、まあ、聖人君子だって悪いところを
クローズアップすれば極悪人に見えるもんです。


撃墜数もさることながら、 とんでもない激戦や
苦境を経ながら、本人だけでなく僚機も落とされずに
無事に生還してきた、ということが、戦争を知らない私に
とっては驚異なわけですが、この本では、確率論を超えて
坂井が生き延びてこられた理由の一端が、感じられます。


元ネタをさぐる旅の果てにいた、マンガみたいな人

私が坂井三郎のことを知ったのは、戦史とあまり
関係のない路線から、でした。


1990年代に、『無責任艦長タイラー』に始まる
「宇宙一の無責任男シリーズ」というSFシリーズが
一世を風靡しました。


当時は、ライトノベルという言葉は、ほとんど
広まっていなかったですが、その先駆けだった作品です。


小説そのものも面白かったのですが、既存の小説、マンガ、
映画、そして実際の戦史をモデルにしたパロディ等が多く
盛り込まれておりまして、当時の私は、まあ、その元ネタを
さぐるのも面白かったわけです。


そこに登場した、コジロー・サカイという 宇宙の戦闘機乗りが
まぁ、べらぼうにカッコイイわけなんですが、そのモデルが
坂井三郎だったのです(ついでに記すならば、コジロー・サカイ
を主人公にした外伝のタイトルは『大宇宙(おおぞら)のサムライ』
でした)。

大宇宙(おおぞら)のサムライ―コジロー・サカイ疾風空戦録 吉岡 平


……で、上記の『大空のサムライ』に行きつくわけです。



昼間の星が見える目をつくる


『大空のサムライ』は坂井三郎の自伝なわけですが、
この坂井三郎のものの考え方やエピソードというのが、
まあ、非常に面白いのです。


コジロー・サカイは架空の人物ですが、坂井三郎は、
ほんとにこんな方が実在したのか、と呆れるほどに、
まるでマンガ。


職人気質というか、空戦で勝つ、生き残るために何をするか、
懸命に考えストイックに努力する。


・鉄道に乗っている時は、窓を通過する瞬間に機銃を
 発射するつもりで手を動かして反射神経を高める
・目が効くように訓練し、結果、昼間の空でも星が見えるようになる
・メンタルを強くするために極限まで水の中で息をこらえ続ける

などなど。

そんな訓練の果てに、自分より視力が高い人間よりも
早く敵機を発見する超感覚を習得してしまった話や、
負傷して今の自分の位置もろくにわからない状態からラバウルに
生還する話
など、まあとにかく並みの小説ではかなわない、
迫力のあるエピソードが続きます。


未読の方はぜひご一読を。

「秘術」はどうやって生まれ、どうやって使われたのか


で。
前置きが長くなりましたが。


今回ご紹介する『零戦の秘術』は、そんな坂井三郎に
著者、航空技術者・科学者である、加藤寛一郎が
航空技術者ならではの視点で坂井の離れ業をじわじわと
解明しつつ、彼がなぜ生き延びられたか、ということを
考察する、そんな本です。

物事すべて、苦労は先にしろ。
みんな、何とかの知恵はあとから出ると言って、そのときに
なってから行きあたりばったりは駄目で、結局、真剣勝負と
いうのは先手必勝なんです。(p100) 

……という坂井らしく、実に緻密な考えの上に、自分を
鍛錬し、そして、生き延びています。

なぜ左捻り込みという技術が、いざという時に生き延びる
ための「秘伝」たりうるのか。

また、その技術の何がすごいのか。

それを習得するために、パイロットは何をしたのか。

そして、その技術を、坂井はどのように「使った」のか。

……といった疑問が、訊ねる加藤と答える坂井との連携によって
じわじわと氷解していくさまは、ある種の推理小説のようでもあります。


例えば、坂井の秘術である、「左捻り込み」。


敵機からは突如、坂井機が消えたようにすら思えるこの超絶技巧に
求められるのは、失速せず、かつ、より小さな旋回半径で
機を操ることのできる、精妙極まりないギリギリの線での操作。

速度と姿勢のどちらかがずれても、操縦不能か空中分解が起こる。(p208)

航空力学の観点と実際のパイロットである坂井の証言をつき合わせながら、
その技術の正体をじわじわと明らかにしていきます。


この本が、

 「学者の書いた小難しい、退屈な技術論」

に終始してしまわないのは、著者加藤が坂井の技術を理論的に
解剖していくだけでなく、、「秘術」やその使い方が、坂井三郎の精神性とは
切り離せないものであることを明らかにしていき、また、その坂井の精神に
著者が心酔している「熱」が伝わってくるからだ、と思われます。


いわば、技術の中にはその人自身の個性が、血が流れている、という、
その脈動を感じさせてくれるような本なのです


……ということで、冒頭の引用部の著者の質問に対する坂井の答えは、
この本のキモの部分ですので、ぜひ、本書を読んで、最後に「ええっ」と
思っていただければ幸いです。そこだけ先に読むと、いまひとつ、
響かないのでは、と思うので、ぜひ順を追って。


一度読んで、妙に印象に残ったフレーズで、今日のところは、さようなら。

パーンとロールを打たなきゃならん。(p43)

余談ながら、坂井が操縦していた零戦の設計者、堀越二郎
(宮崎駿の『風立ちぬ』主人公のモデルですね) も坂井の回想の中に
登場しますが、「正月早々、坂井の家に電話してきて、新年のあいさつも
なしに零戦を操縦していた時の感覚について質問してきて、自分の仮説に合った

答えを聞くや、礼を言ってすぐに電話を切った」というエピソードが、さすがだな、
と。

2015/01/16

第48~51冊 目指すなら、「意識高い系」より「無意識高い系」。下條信輔祭り 『サブリミナル・マインド』他

「意識できる認知なんて、無意識的に

行われている認知に比べれば貧弱貧弱貧弱ゥ!」



このブログは、無意識やら脳科学やらを
よくとりあげます。これはおそらく、ブログ主が
子どもの頃から、

「自分の見えている世界はどうやらものすごく
偏っているらしい」

という違和感を抱えているから、なのですが、
例えば、

第7冊 神は、まだそこにいるのです 『神々の沈黙
 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


で紹介した何冊かの本は、結構救いになったんです。

要するに、

「人間の意識なんて、わりと最近にできたもので、脳の
機能としては+αくらいのもんで、実は全然未完成」

「意識は、無意識が為したことを後追いで認識して、
もっともらしい解釈、ひどい言い方をするならば、
言い訳をするためのもの」

というようなことが書かれていていました。

今日ご紹介するのは、その無意識的な
認知がどれくらい強力であるか、ということを
認知神経科学の専門家である下條信輔さんが
論じた神本(かみぼん)たち。

何にでも「神」とか気軽につける風潮は
好きじゃないけど、つけちゃいます。


内容の主なテーマは一貫しているので、
どれから読んでもいいと思いますが、
現代社会の変化と意識のかかわりについて
一番濃縮されているものを読みたければ
 『サブリミナル・インパクト』がおすすめです。






リアルよりリアルなもの


本書では、「ニューラル・ハイパー・リアリズム」という概念を提唱していますが、この概念に触れる
だけでも、この本は買う価値があります。

現代社会の「脳をより活性化するものがよりリアルである」
という流れを示したものです。

「非現実的な」という評価そのものが的外れか、少なくとも古すぎるのでしょう。(p104)

神経科学的な表現を敢えてするなら、「脳内を活性化するものこそ最もリアル」と いう割り切った感覚刺激の追求です。さらに「物理的な現実味とは関わりなく」とか、「実際の社会的きずなとも関係なく、社会脳を刺激さえすれば」などと付け加える事もできます(同) 

しびれますね。
ヘタな実写よりはマンガやアニメ、ゲームのほうが感情移入
できてしまったりするのは、この「ニューラル・ハイパー・リアリズム」
社会にあってはむしろ当然の帰結でしょう。

いわゆる「二次元嫁」とかも。

もっとも、こうした特徴はおそらく音楽・映像等の技術が
飛躍的に向上したのと、仕掛ける側が神経科学を用いた

方法論に自覚的になってきているために加速しているもので
あって、おそらく文学、音楽、舞台、美術は昔からこうした
機能は持っていたのだとは思います。

あまたの通信手段、ソーシャルメディアに囲まれて、対人関係への
欲求の一部分だけは、サプリメントでも摂るように満たせるように
なっている現代の特徴をも、がっつり凝縮して説明できる概念だと思います。

余談ながら、こうした特徴ゆえ、現代にはこれまで無かったタイプの
孤独感が生まれているようにも私は感じます。新しいメディアは
新しい回路を開いているようでいて、その実、コミュニケーションの
窓を狭く限定するものでもある。


小窓がやたらたくさんついていて採光もばっちりで
一見、開放的なのに、玄関だけは固く閉ざされている家のような。

余計な人間関係に巻き込まれないように「快」の方向に向かった
結果として、別の生きづらさを背負い込んでしまっているような。
そして、ものごとをリアルを感じるかどうかは、無意識のレベルで
なされてしまうので、その流れに抗うことは実はたいへん難しい。

認知科学的な駆け引きは、もはや呪術合戦


マクドナルドの椅子は客の回転をよくするためにあえて
硬く作ってあるらしいが、では、こういう店側の意図に、
意識的に抗うことはできるのか、ということを例にして、著者は、
知ることは確かに知らないよりはいいでしょうが、
たぶん不十分です。気付いている/知っているだけでは
この場合ほとんど役には立ちません。アウェアネスは自由を
救えません。潜在レベルへのアプローチに対して、顕在的な意識や
意図では抗し切れません。

抗し切れないのはなぜか。そもそも情報処理の効率やスケールが
全然違うのです。潜在過程の効率のよさ、容量の大きさに較べれば、
意識なんてほんの小さな一片です。潜在過程に働きかける要因の方が
はるかに高い持続性、反復性を持っています。(p233~p234)
 とばっさり切っています。

仕掛ける側はより巧妙に「空気」として情報や商品などをデザインし、
それを潜在的な認知過程で処理してしまう受け手は、自らの自由意志と
思ったままに、その「空気」に左右されてしまう、という、平和でちょっと気持ち悪い
状態が加速している、というわけです。
 
せめて、たくさんの中にごく少数いる「マクドの賢い客」となりたいものです。
コマーシャルの世界も政治の世界も宗教の世界も、なにせ現代社会は、
硬い椅子だらけですから。 (p235)

ただ唯一対抗し、防御できる策があるとすれば、まずは情動と潜在認知の
仕組みを知ることです。そして知るだけではなくて、潜在レベルで対抗する策を
自覚的に講じることです。(p237)
と、あります。

じゃあ対抗する策って具体的にはどないすんねん、
というところには本書では触れられていませんが、
このへん↓の本には、対抗策のヒントがありそうに思います。

第38&39冊 今も昔も超能力戦争だ! 『洗脳原論』&『性と呪殺の密教』 

『洗脳原論』の苫米地英人さんも認知科学の研究者(?)で、社会にかけられた
自分の洗脳を解く、とか自分を洗脳し直す、みたいなコンセプトで自己啓発書なんかも
多数出している方で(まあ、その先は超高額セミナーの誘導だったりしますが)、
当たり外れはありますが、当たりの本はべらぼうに面白いです。

また、ほうぼうに講師がいて高額セミナーを開いているNLP(神経言語プログラミング)
なんかも、潜在認知の書き換えを行い、依存症等の治療に効果があるとうたわれて
いているので、この対抗策として使えるものかもしれませんが、まあ、私自身は
本を読んだだけで未経験なので何とも言えず。

効果のあるなしはともかく、社会の仕掛けてくる洗脳に対する護身術まで
ビジネスになっている
ということ自体は面白いと思います。

科学の注目分野のひとつである認知科学の発達によって、
われわれが直接そのプロセスをうかがいしれない潜在認知や情動を
めぐって、呪術合戦のような駆け引きが起こっているわけです。

一周回って、古来の呪術は、認知科学的には十分
根拠のある、実効的な方法だったとわかる日が来る
のかもしれません。

妄想ですが。

とりあえず、今日はここまでにしますが、他の
本も非常に面白いです。オススメです。

意識についての研究の
歴史を概観したければ
『サブリミナル・マインド』


錯覚とか思いこみに特に興味があれば、
『〈意識〉とは何だろうか』 (これは、サントリー
学芸賞まで受賞しています)

 

赤ちゃんの発育や教育に興味があれば、
『まなざしの誕生』

2015/01/15

第41~47冊 加害者たち≒被害者たちのディスコミュニケーション 『聲の形』


聲の形(1) (講談社コミックス): 大今 良時

これね、何らかの生きづらさ、みたいなものを
感じている方は、だまされたと思って
読んだほうがいいかもです。

小学生時代に、聴覚障害者の同級生を
イジめたことから自らもイジメの被害者と
なったことが後々まで影を落とし、自殺まで
決意した高校生の少年。

最期に少女への謝罪を試みるが……
その後少年を待ちうけていた転機とは。

……ってアオリだけだとなかなか手に取るのに
勇気が要ると思うんですが、


「この内容を大メジャー漫画誌でやってのけた」という「送り手側」と、
「その作品に絶大な支持を送った」という 「受け手側」とが
同時代に存在するだけで、この社会に絶望せずに済む気がする、
そんな作品です。


イジメと言えば現代の日本では無条件で「悪」とされてしまうわけで、
イジメられた側が自殺でもしようものなら、血も涙もない悪魔の
ような加害者が被害者をイジメ倒し、死に追いやったのだ
という文脈で話が終わってしまうンですが、この解釈、実は
現実的な問題の解決にほぼ役立ちません(「個人攻撃の罠」ですね)



そして、このマンガで描き出されてますが、イジメをする側も
される側も血の通った人間であり、また、その立場は容易に
入れ替わるものです。

イジメの主犯だった主人公「石田」が、いつの間にかイジメの
ターゲットになる不気味な事態は、「自分たちをイジメに加担させる
ような極悪人は排除すべし」という論理の帰結であり、
「イジメる側にいた自分」というものを認めたくないために
結果的に、イジメる側になってしまっている
という、皮肉な状態であります。

本作、序盤はイジメの話ばかりが目立ちますが、
実はイジメはキッカケでツカミで序曲にしか過ぎないのです。

排除の論理がはたらいているイジメとは、基本的には

「加害者側の人格に深入りさせず、被害者の人格に深入りせず」

という状態を作るための行動なのだと思います(逆に、相手の
人格がシッカリ見えたら、イジメはできないでしょう)。


その点、この作品は、人間関係のもっとエグいところまで
踏み込んでいきますので、安心して下さい(笑)。

他者同士の理解・和解の「不可能性」と、それでもなお、
理解しようとすることの意味、なんてことを考えさせて
くれるマンガです。