2014/12/20

第40冊 仏教、何となくわかってるつもりの人に 『仏教教理問答 連続対談 今、語るべき仏教』

仏教が、どうにも、いまひとつわからない、というご同輩に
オススメの一冊です。


評論家の宮崎哲弥さんが、仏教界の若手論客たちと
語りまくった一冊。


仏教教理問答: 宮崎哲弥: 本

この本の何が良いって、仏教が「わかった」って思ったら、
それは間違いなのだ、という諦めがつくことです(笑)。
ブッダは筏のたとえでいわれるように、「仏法さえも捨てていけ」と語ります。自分の教えの体系も捨てていけという宗教、ほかにないじゃないですか(笑)。これがけっこう効いている。だから、常に構築したものをはずして組み立て直すということを、仏教はずっと繰り返してきましたよね。異端をいかに内包していくか、消化していくか、仏教の歴史ってそういう歴史ですよ。(p70)

ずっと宙づりにされているようなしんどさがあって、結局そのまま着地させてくれない。ひょっとしたら宙づり状態こそ、仏教が人を育てている力じゃないか、っていう気もするんですよね。(p71)
ある意味でスッキリ、ある意味でモヤモヤする話です。

この宙づりに耐えるのが常人にはナカナカ難しいからこそ、
仏教発祥の地であるインドでは、神様の個性がハッキリ出て
現世利益もわかりやすいヒンドゥー教が台頭し、仏教が衰退
することにもなったのかもしれません。

 参考 → 第38&39冊 今も昔も超能力戦争だ! 『洗脳原論』&『性と呪殺の密教』

神秘体験を通じて、広告代理店勤務から仏教研究者になり
さらには出家した方(!)とか、あの恐山の住職(!!)とか、とにかく
ひとことで仏教者と言っても色んな方がいて、しかも仏教についての
考え方もかなり違っているというのが面白いところです。


そして様々な論者の発言から感じ取れるのは、仏教的な世界観の
豊かさ・深さ。


法事の時だけ仏教と付き合うなんて、勿体ない!

2014/12/17

第38&39冊 今も昔も超能力戦争だ! 『洗脳原論』&『性と呪殺の密教』 

オカルト系のネタが好きな人間として一度は
しっかりと向き合っておくべきだ、と思うのは、
やはりオウム真理教がらみの事件ですね。


平成生まれの子などにとっては
『どうやらそんな事件があったらしい』
という感じで、隔世の感がありますが。


さて、今回取り上げるのは、
そんなオウム事件がなければ書かれなかった
であろう二冊。

宗教における密教的な身体技法と教義の
「ねじれ」の問題、宗教の在り方についても
考えさせてくれる本で、続けて読むと面白いです。

 
洗脳原論: 苫米地 英人

 
性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光: 正木 晃


『洗脳原論』は、オウム信者の脱洗脳で名を馳せた
(今は自己啓発本のほうで有名かもしれませんが)
苫米地英人さんの本。

洗脳のメカニズムとそれに対する脱洗脳のプロセスや
理念を、実体験を交えつつディベート理論やエリクソン派の
催眠技術などと絡めながら語っていて、面白いです。

この本の濃さに比べると、同じ著者の最近の自己啓発本は、
薄めに感じるくらい。



『性と呪殺の密教』は、仏教、チベット密教の研究者
として知られる正木晃さんの本。

セックスを通じて能力を開発していくという「性的ヨーガ」と
霊能力を用いて相手を呪い殺す「度脱(ドル)」という、
のちのチベット仏教では否定され戒められた技術を
使ってのしあがっていくドルジェタクの生涯は凄絶です。

インドでは凋落しつつあった仏教がチベットでいかにして
力を得たり、ヒンドゥー教と闘ったりしてきたか、という
あたりも宗教史が好きな人には面白いかもしれません。

ヒンドゥー教の神様が仏教に帰依したという見立てで
その力を逆手にとったり(シヴァ神→大自在天とか)、
ヒンドゥー教の神様の「天敵」を考案したり(閻魔大王
=ヤマより強い、という設定のヤマーンタカとか)、と
見ようによっては中二病の妄想合戦にも思えますが、
その妄想合戦でほんとうに人が死んだりするのが凄い
ところです。


その果てに、チベット密教、ひいては仏教、宗教の
在り方について問題提起して見せるという本です。


これらを読み比べると面白いのは、中世チベット密教の行法と
似た技術が洗脳/脱洗脳に用いられていることがよくわかること。

例えば、苫米地さんがオウム信者を脱洗脳する時の手法が、
正木さんの本でチベット密教の行者が敵を降していく際の
「霊能合戦」の手法と似ています。


そこで私は、昔から得意である抽象空間の視覚化、
さらに一〇年以上も訓練したディベート術を利用することにした。
変性意識状態への誘導は、気功師のように一切言葉なしなの
ではなく、言葉も使うし表情も使う。ただ私は、自分の中にできあがった
空間を相手にイメージとして示しながら話を進める。それが変性意識
状態の相手に伝わり、相手の視野のなかでも、同じような色や形が
ありありとイメージされているはずだ。(『洗脳原論』p78)
ドンナルワという名の密教行者が、ヴィクラマシーラ大僧院に
いいがかりをつけてきたヒンドゥー教の僧と、霊能をあらそった
ときのことである。ドンナルワが自らの守護女神として
ヴァーラーヒーを出現させて、外道が彼を殺害しようと
送りこんできた毒蛇を殺し、逆に相手を打ち負かしたところ、
外道が「それは自分の側の女神だ。なぜ仏教のほうに
あらわれたのだ」とひどく驚愕したというのである。
(『性と呪殺の密教』p61)

どちらも、乱暴に言えば、相手にありありと臨場感のあるイメージを
送りこんで「納得」させた側の「勝ち」ということです。

『陋巷に在り』の呪術合戦にも繋がる雰囲気がありますが、
現代の脱洗脳の専門家も、密教行者も同様の手法で
戦った、というのは非常に面白いです。

密教行者が霊能合戦をした時代と現代は、実はさほど
隔たっていない、ということなのかもしれません。

2014/11/25

第36・37冊 気合いも根性も不要で自分を動かす 『使える行動分析学』『人生を変える行動科学セルフマネジメント』

あなたは変われる、と高らかに歌い上げる本は
多いですが、自分なんてそうそう変わりません。


変えられるのは、行動だけ。


……と分かってはいても、できない。
三日坊主が羨ましい。
三日も出来てるんだから!


……と思うくらい、私はモノグサな人間で、
とにかく行動を先送りするのが得意。


「敵は引きつけて撃て」と戦争映画の軍曹殿が
言っていましたが、引きつけ過ぎて、たまに
敵が横をすり抜けていったりする……。


自らの行動力・実行力の無さ、低さを嘆き、
なんで、こんな簡単なことを日々こなすことも
出来ないのか…… とお嘆きのあなたは、
私と同じ穴のムジナですね。


理屈でわかっていてもあまりにも行動できないので、
『動物感覚』を読んで、動物の世界観から自分の感覚を
理解してみようとしたり、

 参考 →第1冊 人間だって動物です『動物感覚 アニマルマインドを読み解く』 

また、「天の神様の言う通り」に行動していた頃の人間の
精神の状態を知りたくなってみたり 、

 参考 →第7冊 神は、まだそこにいるのです 『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』
……と、まあ、傍から見ると大事なことそっちのけで延々本を
読んでいるように見られてますが、まあ、その通りですね。


さて、私がそんなモヤモヤの中で天啓のごとく
出会ったのが

「行動分析学」

……という学問。


心理学の一分野ですが、面白いことに、
意識とかココロの中身とかを問いません。


人間や動物の行動は、環境や、行動にともなって起こる
結果(随伴性)が引き起こす……といった視点の学問です。


つまり人間が行動できないのは、その人にとって気合いや
根性の問題ではない、ということです。


例えば、行動分析学者である島宗理さんの唱える、

「個人攻撃の罠」

という概念。


「われわれは何か問題が起こった時、個人の性格や資質の
せいにしがちだけど、それは問題解決において何の役にも
立たないよ」ということを指摘した言葉なのですが、これ、
もっと広まれば自殺者が減るのではないか
というくらいに素晴らしい考え方だと思います。


「自分の意志の力や気合いが足りないから事態が解決しないのだ」
と自分を責めることで問題が解決することはまずありません。


大切なのは、意志の力も気合いも根性もなくても、しかるべき行動を
とるような仕組みを考えていくこと。



自らをスッカリ根性無しのヘナ○○と思ってしまったご同輩には、
ぜひともご一読いただきたい2冊をご紹介しましょう。




使える行動分析学: じぶん実験のすすめ (ちくま新書): 島宗 理


上で紹介した「個人攻撃の罠」をはじめ、用語の難しい
行動分析学をわかりやすく、しかも実際に役に立つ形に
して紹介して下さっている島宗理さんの著書です。



用語や、具体的に何をするかが難しいと思われがちな
行動分析学ですが、この本に書かれた方法であれば、
実に具体的に、実に気軽に始められます。


この本のタイトルにある「じぶん実験」というのもまた
魅力的な概念で、

行動の諸原理や研究方法を学んで自らが自分の行動を
探求する力をつけること
自分にあったセルフコントロールやセルフマネジメントの
手続きを開発する方法を手にするということ
……を目的にしたものです。

要するに、「自分」というブラックボックスの動かし方を探索し、
実際に動かす方法を見つけていくための手引書、ということです。

紹介されている具体例も面白く、人間の行動がこんなことにも
左右されるのか!というのは驚きであるとともに、ちょっとした
救いにもなります。


人生を変える行動科学セルフマネジメント: 石田 淳


 こちらも名著です。


結果を導き出すのは「行動」しかありません。
どれほど強い意志があろうと行動なきところに結果は生まれません。
逆に意志は弱くても行動すれば結果は出ます。
わかりやすい「行動」にフォーカスすればいいのに、その前に
「意志」という極めて不明瞭で高いハードルを置いてしまっているのが、
今のあなたです。

しびれます。


『使える行動分析学』が、自分の行動のチェックの仕方に力点を置いている
のに対して、こちらは、具体的にどのような対策で行動を呼び起こすか、
という方法の具体例が紹介されており、2冊合わせると、最強です。


まったく片づけの出来なかった私が、これらの本のおかげで、
ある程度まで片づけが出来るようになっていますので、間違いなく
効果はあります。


心を燃え立たせる系の自己啓発が向かなかった方、
動けない自分が嫌いな方、変なセミナーやプログラムに
手を出すよりは、まずはこの2冊をおためしあれ。

2014/11/12

第35冊 成りあがれ!ナマグサ坊主忍者医師 『全宗』


全宗 火坂 雅志


恥ずかしながら、全宗という人のことは
サッパリ知らなかったのですが、

「信長の比叡山焼き討ちから命からがら逃げおおせた僧で、
その後、かの有名な曲直瀬道三のもとに弟子入りし
漢方医学を学んだ後、秀吉の主治医兼ブレーンとして活躍」

……と駆け足で省略しても面白い経歴なのですが、
本作では、その全宗が実は忍者の出であった、という、これまた
ユニークな着想からスタートしております。

「医術を足がかりに出世、当時の権力の中枢近くまで
上り詰めた」という意味では ある意味、弓削道鏡やラスプーチン
と同列に語られるのもやむなしですが、彼ら二人と、この小説で
描かれた全宗の決定的に異なる点があります。


 道教やラスプーチンが祈祷の力をもって病を治して権力者の心を
つかんだのに対して、全宗は当時の日本の正統医学である漢方を
つきつめて得た、オカルティックな要素を排した技術と、おのれの
智謀とで成りあがっていく点です。


そのあたりが、この小説の真骨頂でありましょう。


印象的だったのは、途中、全宗が師である曲直瀬道三に言われ
漢方を処方する際に、その場でわかりやすく効果が実感できるよう
処方をいじる「狡さ」や、もはや救えぬとなればアヘンによる除痛
さえ厭わず、また、それで大金をせしめても当然とするある種の「強さ」。


これを読んで思いだしたのは、『陋巷に在り』の、医鶃という医者。
→第13〜26冊+α 顔回と孔子の呪術的世界『陋巷に在り』
あれもアクの強い医者でしたが、こちらも負けず劣らず。


ものすごく悪い奴(笑)なのに、医術への思いだけは真摯だったり、
年下の女性に惚れてぐらつくような、突然純情な面も見せたりする、
そんなあたりも本作の主人公の魅力ですが、そうした面と、秀吉の
ブレーンとして振る舞う点とが地続きになっているのが、本作の
魅力です。


上述の全宗の懸想する「年下の女性」の描写が、清楚なのになぜか
エロティックですが、この恋は、最強の恋ガタキに阻まれます。
そのことを、歴史的事件と結び付けていく流れなんか、素敵です。
ま、このへんは読んでのお楽しみ、ということで。


全く余談ですが、知恵袋の場合はブレーン、単純に脳を現す場合には
ブレインと書く場合が多いのは、何なんでしょうね。

第34冊 傾国と呼ばないで 『唐玄宗紀』

唐玄宗紀 小前 亮

「傾国の美女」というが、女ひとりで国が滅びはしない――
 
唐の九代皇帝、玄宗の一代期、なのですが、
中国歴史モノに無条件にアレルギーを感じる方にも、
これはぜひ読んでいただきたい作品です。 


玄宗というと、「皇帝の座にあるうちの前半は
善政を行うも、後半は楊貴妃とイチャイチャして堕落……
おかげで安史の乱が勃発、あわや亡国の危機……」
といったような評価がされがちで、かく言う私もそう思っていました。


が……、この作品は、宦官である「高力士」の視線に
寄り添いながら玄宗皇帝の苦悩やその周囲の権力闘争を
描くことで、玄宗皇帝や楊貴妃への、上記のような紋切り型の
解釈から目を洗ってくれる仕掛けになっています。


世界史最強クラスのバカップル(褒め言葉です) が
好きになること請け合いです。


また、一代期というのは歴史を順に追って行くことで
とかく退屈になりがちですが、 本作は、老境に至った
玄宗と高力士が当時を振り返る節がところどころ挟まれており、
それが箸やすめになるとともに、玄宗の人物像に奥行きを出しており、
非常に面白いです。


この玄宗と高力士のいちゃつくさまも、ある種の趣味を
お持ちの方にはご馳走かもしれません。そういう楽しみ方も
できるのが、本作のフトコロの深いところであります。


余談 本作を読んで……
 
玄宗と楊貴妃の関係を題材にした白居易の『長恨歌』は、
本邦の文学にも大きく影響を与えたと言われており
(『源氏物語』は、『長恨歌』への「返歌」である、という説も
ありますし、あの『ドグラ・マグラ』でもネタにされていたり
しますね)、文学系の学科出身者としては、一般教養として
それなりに知っているつもりだったのですが、 歴史上に
実在した人たちとしてはほぼ知らないに等しかったことが
よくわかりました。 玄宗、楊貴妃、ごめんなさい。

2014/10/26

第33冊 サン○ルの二番煎じじゃないんだぜ『選択の科学』

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

選択の全貌を明らかにすることはできないが、
だからこそ選択には力が、神秘が、そして並はずれた
美しさが備わっているのだ(単行本版p329)
24種類のジャムを試食できるようにした場合と、
6種類のジャムを試食できるようにした場合とを比較すると、
前者の売り上げは後者の10分の1しかなかった……
というような、著者を有名にした実験を皮切りに、
選択というものに実に色々な角度から焦点を当てた本。


「コロンビア大学白熱教室」という番組があったもので、
漠然と、サンデ○さんのやつが受けたから出たドジョウ本
なのかな、と思って何となく避けていたのだけど、
読んでみたら面白い本でした。


不自由でもストレス、自由すぎてもストレス

選択の自由がないことはストレス。
でも、選択の幅がありすぎてもストレス。

本書は最初、動物実験の結果などから、動物園の動物が短命な理由を
選択の自由がないことと喝破。人間についても、あまたの例から、

人々の健康に最も大きな影響を与えた要因は、
人々が実際にもっていた自己決定権の大きさではなく、
その認識にあった(単行本版p35)

フランクル博士の『夜と霧』みたいに、自分の認識の枠組みを
変えて、外的な刺激とそこから起きる自分の反応との間にスキマを作れ、
とはかの有名な『7つの習慣』でも習慣以前の大前提として述べられていましたが、
本書の面白いのは、自己決定権が大きすぎることもまた負担になることを
示したこと。

「東ドイツ住民はなぜ昔を懐かしがるのか」といった章に書かれた話や
冒頭のジャムの例は、自由の「功罪」を示しています。

そういえば、『神々の沈黙』でも神の声が聞こえるのは意思決定のための
葛藤がストレスだから、という話がありましたね。

  →参考:第7冊『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


自己啓発本のパターンは国によって変えるべき?


意思決定の範囲の広さがどれくらいだと心地よく感じるか、は
文化圏等によっても影響を受けるようで、例えば、日本人とアメリカ人とでは
何を自己決定したいか、と聞くと上がってくる項目の数が四倍も違う、という
実験結果が紹介されています。


結婚についても、著者であるシーナ・アイエンガーの両親は結婚当日まで
お互いの顔も知らなかった、家族同士が取り決めた結婚であった、という
例を出しながら、必ずしも個人主義的な結婚ばかりが良い訳ではないことを
示します。

例えば、インドでは恋愛結婚の離婚率は、お見合い結婚の離婚率の10倍と
いう数字になるそうです。
※個人的には、その要因は、恋愛結婚での幸福感は時間とともに下がりやすい、という以外にも、自分で望んで恋愛結婚をした人は、自分が望まぬ方向になってきたからその状態を解消する、という選択を行うだけの決断力がある、ということの影響があるとは思いますが。

アメリカ式の自己啓発本は、多く、おのれの人生のビジョンやミッションを
明らかにせよ、決意せよ、というパターンが多いですが、もしかしたら、あの
「自分で何でも思うように決めろ」という方向は、日本人の多くには合わないの
かもしれません。

決めるのは誰の意志?


やむを得ない選択、周囲に流されての選択でも、
人間の奇妙な脳は、それは自分が望んでした選択だ、
と思うようにアッサリ記憶を加工してみせます。

たとえば、仕事について、本書ではこんな研究結果が披露されます。

過去の優先順位を正確に思いだせなかった人ほど、自分の選んだ仕事に対する満足度が高かったのだ。このような幻想で自分を守ったおかげで、自己矛盾を認識せずに済み、初期の調査時に自分がつけた優先順位に義理立てする必要を感じずに、今この瞬間の優先順位に沿った選択ができたのだ(単行本版p127)
大した機能です。

こんな具合に、「選択」にまつわる研究は、ある意味、人間の弱さや強さ、
賢さや愚かさを浮き彫りにしていきます。本書で紹介されている、
ガン撲滅運動のイエローバンドを用いた実験なんて、かなり「残酷」な
実験なのですが、これはぜひご自分で読んでみてほしいです。

家族知人友人、そして何より自分の選択や行動に、ちょっと寛大になれるかも
しれません。


2014/10/10

第29~32冊 働くってどんなことか考え直す 『シャドウ・ワーク』『ナリワイをつくる』ほか2冊

テレビなんかで働くことについての番組を観ると、だいたいが
以下のふたつに分類できるような印象があります。

①仕事に命を燃やし、邁進する個人や企業についての番組
(カンブリア○○とかプロフェッショ○○とか)

②仕事をめぐる制度と現状の解離(長時間労働、妊娠出産との
 兼ね合いや、いわゆるブラック企業問題など)についての番組
(ニュース番組の特集とか教育テレ○の討論番組とか)

いつも違和感を感じるのは、どちらも、それを見る多くの人に
とって、あんまり地に足がついた感じがしないんじゃないかなぁ、
ということです。


働くことについて、だいたい皆さん何らかの悩みがあるのでは
ないかと思いますが、おそらく①も②もその「解消」のためには
役立たないことがほとんどだと思います。

 
①の番組に出てくるプロフェッショナルのように自分の仕事に
情熱を傾けるほど、いまの自分の仕事を愛せているのか、と
言われると、多くの人はうーん、どうでしょう、と唸るのでは
ないでしょうか。愛せよと言われてナカナカ愛せるものじゃない
ですしね。

さりとて、②のように、制度上の問題提起をされて、それは
問題だ、と思うまではいいですが、じゃあ、この「わたし」は
何をどうしたらええんじゃ、という話になるわけです。


今の仕事の中に何かを見出すのか。
別の仕事を探すのか。
そんなことをお悩みのあなたに。
今回は、働くことについて考える時に読んで良かった本と、
逆に読んでエライことになってしまった本をご紹介しましょう(笑)。

人生を盗まれない働き方 『ナリワイをつくる』





各所で話題になっていたのでご存じの方も多いかと
思いますが、オススメの本です。続編も出ていますし、
近い将来文庫化もされるかもしれません。

月収30万稼げるキツイ定職に懸命にしがみつくより、
月収3万程度の仕事(これを、本書ではナリワイと
呼んでいます)を10個確保するような生き方を提案
した本です。

まとまった収入を稼げる仕事というのは、実は競争の
激しい仕事であることが多いため、そうした競争に
向かない「非バトルタイプ」の人はすり減ってしまう、と
著者である伊藤さんは自身が医療系ITベンチャー企業で
働いて消耗した経験から分析し、それに対する
生き方≒働き方の提案として、「ナリワイ」を提唱します。

大手旅行代理店ではまず企画不可能と思われる
「モンゴル武者修行ツアー」や、使われなくなった
木造校舎を使った「婚礼プロデュース」、縄文式
発火法をマスターしたアイドルを売りこむ
「火起こしアイドルのマネジメント」など、様々な
アイデアをナリワイとして結実させたり失敗したり
している様が赤裸々に描かれます。

最低限幾らあれば生きていけるか、
何が得意か、何をしたいか、というところから、
小さなナリワイを作り育てていくという考え方は、
会社勤めしながら副業を育てる時にも使える考え方ですし、
思い切って会社を辞める際にも無理のない計画を立てる
時にも使える考え方です。

あくまで、無理な頑張りはいりません。

このまま会社ですり減って死んじゃうのかな、
みたいな絶望を感じたことのある方は、ぜひ手にとって
いただきたいです。

この本で示されているのは、あとで紹介する『シャドウ・ワーク』で
提起されている問題に対する、ひとつの処方箋だと思います。

仕事を我がものにする 『自分の仕事をつくる』




「働き方研究家」西村佳哲さんの本。

働き方について考える本としては、もはやスタンダードと
いってもいい本です。

「いい仕事」をしたり、仕事を「自分の仕事」として行うための
 ヒントを、現場に訪ねた本。

……と書くと、最初に挙げたテレビ番組のパターンの①に近いのでは、
と思われるかもしれません。

実際、この本のレビューでも、登場する人の職業や働き方が自分の
職業と隔たっているのでいまひとつ参考にならなかった、という意見も
見受けられます。

確かに登場する人がプロダクトデザイナーや建築家といった方が多いので、
いやいやそんな世界の話を聞いたって……と思う気持ちもわかります。

ですが、この本の一番美味しいところは、そうした人々の働き方から
西村さんが抽出しようとしているエキスです。

もちろん会社で働くことと個人で働くことを、対立的に
捉える必要はない。要は仕事の起点がどこにあるか、にある。


私たちはなぜ、誰のために働くのか。そしてどう働くのか。
「頼まれもしないのにする仕事」には、そのヒントが含まれている

と思う。
この本のコアとなる概念は、「自分で自分の働き方をデザインする」という
発想です。自分が仕事に何を求めているかを抽象化して整理するために、
この「西村哲学」に触れる価値はあると思います。


ドラクエ世代向きの労働観?
 『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』


 

タイトルからすると、ガンガン煽ってくる自己啓発書に
見えますが、読んでみるとかなり淡々と論理的な、
しかも地に足のついた本です。

ユニークなのは、『資本論』と『金持ち父さん貧乏父さん』
という、まさにお金に関する本に書かれた理論を下敷きに、
お金を目指さない働き方を提案している点です。


『金持ち父さん貧乏父さん』は、「勝手にお金を生んでくれるもの」を
資産と呼び、こうしたもの(株式なり、不動産なり)を増やしていくことで、
「稼ぐために働く」ような「ラットレース」から抜け出すことを
唱えた本ですが、『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』
では、知識や経験、技術をある種の資産と見なします。


ものすごく大雑把に言えば、目先の現金になろうとならなかろうと、
「経験値稼ぎ」ができれば良しとする考え方もありじゃない、と
いうことになります。


これ、労働や苦しみに金銭的対価があるのが当然と思ってしまう
から、働くのが辛かったり理不尽だったりするわけで、例えば
無給薄給状態の徒弟なんて、知識や経験が身につかないのでしたら
ただのブラック企業社員状態ですし、 逆にこの考え方で自分なりに
納得できるならば、ある種の修行やノウハウ蓄積のためにブラック企業
で働く、という選択だってアリなのです。

……という結論そのものは、実はそんなに目新しいわけではないですが、
経済的な理屈の積み重ねから、非経済的な「資産」の
積み上げを 推奨するという切り口が面白いです。


自分の生がどんなシステムに絡めとられているのか
 『シャドウ・ワーク』

   

さて、ある意味今回ご紹介する中ではジョーカーとも言える
本です。独特な用語や論理のスキップが多いので、
様々に語られる本です。

なので、私の紹介の仕方にも「その理解では浅い、間違っている」と
思われることがあるかもしれませんが、そのあたりが気になる方は
コメントででもご指摘いただければ幸いです。

著者のイリイチという人は、特定の肩書きにおしこめるのは難しい
人で、作家であり神学者であり歴史学者であり社会学者であり……
とにかく面白い人なのですが、私の理解する範囲では、
先人たちの築いてきた諸制度が今度はその構成員たちの生を
いかに絡め取り、制限してしまうか、ということに深く危機感を
抱き、警鐘を鳴らした思想家です。


「ジェンダー」という概念や「医原病」といった概念は、イリイチが
提唱したものと言えば、その業績の凄さが少しは伝わるでしょうか
(いずれの概念も、今日ではイリイチの問題意識からはだいぶ
ズレた使い方をされているように感じますが)。

この本は数本の互いに独立したエッセイからなりますが、その中で、
表題でもある「シャドウ・ワーク」という言葉は、

「産業社会が財とサーヴィスの生産を必然的に補足するものとして要求する労働」

……と定義されています。その代表例が、家事であったり、介護で
あったりするわけです。

で、そういったものの一部がさらに分断され、金銭により外注可能な
サービスとなっていくわけです。


その際にその分断の境目にあった「何か」がこぼれ落ちていくことで、
人の生き方は、本来そうであったものから遠のき、制度に仕えるための
ものになってしまう、という点をイリイチは問題視しているのです。
 
「主婦の労働は、賃金に換算するといくらいくらなのだから、
もっと大事にすべき」という類の言説はよく聞かれますが、これは
イリイチの問題意識のきわめて浅いところしかなぞっていない。

むしろ、金額に換算して表現されないと労働を実感できない
というのは、人の労働を推し量る尺度までもが、経済原理・貨幣制度に
絡め取られてしまっていることの証でもある
わけで、生まれながらに

そうした社会にいる我々にとっては、おそらくトコトン根が深い問題
なのです。


この本より前に紹介した3冊ではモヤモヤが解消しきれなかった
方には、一読をオススメいたします。

……もっとモヤモヤするかもしれませんが(笑)。

これ読んでモヤモヤしたら「第4冊 偉人の父は、エラい奴だった 『夢酔独言』勝小吉」でも
読むといいかもしれません。

なぜイリイチの本がわかりにくくなるか、ということは結構重要な問題で、
それについても私見はあるのですが、長くなりそうなので、稿をあらためて
書きたいと思います。