2015/03/03

第61冊 動けなくてハズカシイ高校生たちの超・密室青春群像劇 『ガレキノシタ』山下貴光

帯に曰く「極限型青春小説」。


何故か手にとってしまい、何故か買ってしまい、
何故かあっという間に読破してしまいました。


どうまかり間違っても、普段だと「青春小説」
なんて銘打たれたものに手をつけることは
ないのですが、最後に付いている大森望さんの
解説を読んだら、何とも面白そうだったんです。


おのれ大森望。


いや、罠にはまって良かった、ですよ。


ガレキノシタ (実業之日本社文庫): 山下 貴光

登場人物がガレキに埋もれてほとんど身動きできない
中で物語が進行するという「超・密室劇」。


そんな「不自由」な舞台設定なのですが、そこはさすが、
『屋上ミサイル』で「このミステリーがすごい!」
を受賞した作者だけあって、仕掛けが満載。


語り手を変えての全七話の短編を通して、
あっちの謎がこっちで解けたり、この人の
大切な人の安否があの人の話の中で
分かったり、といったあたりの仕掛けのおかげで、
あれよあれよと言う間に読めてしまうのです。


とある高校生の回想の中で、その友人が

 「人類の平和のためには共通の敵が
 いればいいのではないか」

という理屈を展開するのですが、本作
そのものをメタ視したような発言だなぁ、と。


本作での「共通の敵」は、もちろん、校舎の倒壊
とそのガレキの下への生き埋めという緊急事態です。


身動きもできない極限状態だからこそ
登場人物たちが素直になれたり強くなれたり
悪くなれたり、という色々があるわけで。


だからね、はっきり言ってしまえば、ガレキは
「言い訳」なのでしょう。


「極限状態だから、これくらい恥ずかしい
ド直球な青春小説になってしまっても……
いいよね!? いいよね!?」


……という。


思い返せば、2011年3月11日の大震災の後しばらく、
私自身、「震災後ハイ」みたいな状態がありました。


当時の自分のメールやツイートを見るとずいぶんと
気恥ずかしいメッセージを家族や友人に対して
送っていたことに気付き、なんともくすぐったい気持に
なったものです。


ちょっと斜に構えた本を読んでばかり来ましたが、
まあ、たまにはこういうドドド直球もありかな、と
思いました思わされてしまいました。


まあ、敢えて難癖つけるならば彼らの青春は
おおむねサワヤカ過ぎるのが鼻につく(笑)。


私の高校時代なんて『ドグラ・マグラ』読んで
ブウウゥウウーンとか言いながら、延々
モヤモヤ暮らしてましたからねぇ。
男子校で男ばっかりだったし。


あ、まったく余談ながら、表紙は女の子がセーラー服で
ヘソ出してますが、本文中のYシャツ云々の描写から
すると、こーゆー制服ではないのではないか、などと
どうでもいいところが気になりましたが、
まあ、枝葉末節です。


人に伝えたいことは、まあ、恥じらいながらも
ちゃんと伝えておいたほうがいいですわな。

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