2015/04/14

第72冊 科学リテラシーの生きた実例 『知ろうとすること。』

科学的ってこういうことだよね



「ひとりの科学者が、いかにして震災後、不慣れなツイッターで、
情報発信することにしたのか」という話から、「水素原子の年齢は
138億年で、数々の超新星爆発を経て様々な元素が出来て今に至るのだ」

……という話まで。「科学的」に考えてものごとを知ろうと
することはどういうことなのか、ということが、早野龍五さんの、
震災後のさまざまな苦闘から見えてきます。

よくぞこの安さと薄さにイロイロ詰め込んだなぁ、という本です。
しかも対談形式で、自分に語りかけてもらっているようで
読みやすい。


私は科学関係の話は好きなつもりだったけど、科学的である、
ということがどういうことか、というのは実な根本の根本で
ありながら、実はよくわかっていなかったようです。

例えば、次のような記述を読んで気付かされます。

 その過程で、ぼくは、科学と社会の間に絶対的な断絶がある、
ということに気づかざるを得ませんでした。放射線のことを
知っているとか知らないとか、そういう知識の有無とはまったく
別の次元です。「混乱した状態から、より真実に近い状態と
思える方に向かって、手続きを踏んでいく」というサイエンスと
しての考え方を一般の人たちに理解してもらうのは、とても難しいと
知ったのです。
 科学というのは、間違えるものなんです。ニュートンの
物理学が正しいと思われていた時代に、アインシュタインが
ある微妙な違いに気付く。そのアインシュタインも間違えて
いたことがある。そうやって、科学は書き換えられて進歩していく。
限定的に正しいものなんです。
だから、科学者は「こういう前提に
おいて、この範囲では正しい」というふうに説明しようとする。
でも、これは一般の人にはわかってもらえないのですね。
(p171 あとがきより 傍線引用者)

科学的に出てくる「結論」って、「限定的に正しい」もの
でしかない。

もっというと、「より正しい結論」が出てきた時に踏み台に
できるようになっていないと、科学的とは言えない、という
ことですね。

……という大前提を頭に入れておくと、TwitterやらFacebookやらで
たびたびまわってくる「福島で奇形児が増えた」とかいうような
デマは、科学的な手続きを経たデータかどうか、ということに
着目しさえすれば、ふーん、またデマか、で終わる。

「いやそれは、悪い奴らが隠ぺいしているんでちゃんとした
データは出ないんだけど、心ある産婦人科が明かしてくれたんだ」
みたいな話を真に受ける必要は、まあ、ないでしょう。

デマとの戦いはもどかしい持久戦

早野さんがポケットマネーを出して(!)調査機器を調達して
調査した結果、内部被ばくは、想定されたものよりも
かなり経度であることが分かったそうで、妊娠や出産を
心配する女の子に対しても「まったく問題無い、大丈夫」と言える
ものだったという話が語られます。

ただ、データとして出た地味な結論が、「衝撃的な事実」と騒ぐ
デマをなかなか駆逐できないことに関して、こんなことが語られて
います。


早野 (中略)
さきほども言いましたように、やっぱり放射線に
関しては「量」の問題を踏まえなくてはいけない。
放射線は健康に関して無害なわけではない。ただ、
デマとか間違った情報というのは、福島ではありえないような
高い線量のケースを引き合いに出していて、それをあたかも
福島で起こりうるかのように言ってるんです。それは、
2011年の早い段階では仕方がないケースもあったかもしれない。
ショッキングな警告としての役目はあったのかもしれない。それは、
ぼくは否定しません。
 だけれども、ここまでの時間が過ぎて、これだけのデータが出そろって、
線量の低さも非常に明確にわかってきた。この今の段階で、そういう
話をするのは、ありえないし、あってはならないと思う。
 
糸井 いま早野先生が示されたような、科学者としての誠実で
揺るぎない態度が、ますます必要になりますよね。
 
早野 うん、もどかしいんだけどね。でも、本当に、そう思う。


この「もどかしいんだけど」続ける態度ってのが、自分も含めて
多くの人に足りないもんなんでしょうね。それをやってのけたのが
この早野さんの凄いところなんですが。

今もなおFacebookなんかを立ちあげるととっくにデマだと分かっている
記事がシェアされてきたりして、うんざりすることもしばしばです。

ああ、もどかしい。


甲状腺ガン、見つければいいってもんじゃない


例えば、甲状腺ガンに関する記述。
私はこの記述で、自らの不勉強を思い知らされました。

 甲状腺ガンというのは非常に進行の遅いガンで、
ガンの中では危険度が低いんです。わかりやすくいうと、
ほぼ、命に別状がない。ですから、検査すれば甲状腺に
ガンが見つかるけれども、見つからないまま過ごして、
他の病気で亡くなる保持者の方がとても多いと言われて
いるんです。
 そういった状況を踏まえると、本来であれば知らずに
済んだ異常が、検査によって見つかってしまった子どもに
とって、甲状腺のガンを探すことになんのメリットがあるのか
という意見もあるんです。
 他のガンだったら「早く見つかってよかったね」って
なるんだけど。甲状腺ガンの場合、命に別状がないとはいえ、
ガンはガンだから、既往歴がガンだってことになる。
そうすると、たとえば、生命保険に入る際や、さまざまなところに
影響もあるんですよね。もちろん、診断された方の心理的な負担は
相当大きなものです。
 そういうことまで総合的に考えると、「全国の小学校で大々的に
検査すればいい」と簡単にはいえなくなってしまう。(p115)

こういうコトまで考えねばならないわけで、
甲状腺ガンのことを徹底調査しない政府は
何かを隠ぺいしようとしているのだ、という言説は、
まったくもって実態に即していないことがわかるでしょう。


科学的な態度、というのは、わかりやすい結論に飛びつかず、留保し、
検証し続けることにあるのだ、ということがしみじみと腑に落ちる、
いい本です。読みましょう。

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