2015/06/29

第82冊 石高はヴァーチャル? 『武士の家計簿』

ベストセラーは逆に手にとりづらい難儀な性格なんですが、
これ、もっと早くに読んでおけばよかったと思うくらいに
面白いです。


武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書): 磯田 道史


学者でなかったら週刊誌の記者になりたかったと
いうくらいに詮索好きな著者ならではの視点で、
綿密につけられた家計簿、猪山家文書をもとに
当時の世相を読み解く、という切り口が新鮮。


家計簿それ自体ではただの文字の羅列だが、そこを
読み解いていく磯田先生の粘着質(褒め言葉です)な
姿勢にはただただ敬服。


石高はヴァーチャルなもの


本書ではじめて知ったのは、徳川時代の武士は、「石高」と
いっても大部分はおのれの知行地を見ることなく死んでいった、
つまり実際の領民と年貢の管理運用は、幕藩体制の全国統治の
しくみに組み込まれて回されていた、ということ。


まあ、現代で言う、大家業(建物のメンテナンス&家賃の管理など)を
管理会社が請け負い、オーナーはそのあがりをもらう、という仕組みに
近い感じと理解していますが、つまり、武士にとって石高は自分の領地で
領民がリアルに収穫したもの……というよりは、数字として表れてくる
ヴァーチャルなものだった、ということです。


地縁がきわめて薄い状態だったわけで、年貢による「不労所得」を
武士が奪われることになる明治維新という劇的な体制変更、改革に
移行するにあたって、それがいかに有利だったか、という視点は実に
面白いところです。


身分相応のコスト

武士の身分にあるだけで、家禄が与えられるのに、
「武士はくわねど高楊枝」なんていうことわざが
生まれるくらいに困窮してしまうのは、なぜ……?
という疑問にも、その身分でいることにコストがかかるのだ、
という切り口で磯田先生と猪山家文書はスッキリ説明してくれます。


武士と言うものは、とにかくその身分であることに対して
コストがかかった、ということです。年中行事に親戚などとの
付き合い、賓客のもてなし、神社への寄進などなど。


経済的に困窮し、武士の魂とよく言われる刀を売り払っている
ような状況であっても、寄進はチャンとおこなっているあたり、
現代のわれわれの感覚からすると何とも不思議なほどです。


歴史とは過去と現在のキャッチボールである

……という言葉は著者があとがきで紹介している言葉ですが、
家計簿というごくプライベートな文書から、傍証や先行研究を縦横に
駆使しながら江戸期~明治期の姿を描いてみせたワザは、
とにかく凄い。


売れた本への食わず嫌いで読まないのは勿体ないほどです。
ぜひご一読を。

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