2014/10/10

第29~32冊 働くってどんなことか考え直す 『シャドウ・ワーク』『ナリワイをつくる』ほか2冊

テレビなんかで働くことについての番組を観ると、だいたいが
以下のふたつに分類できるような印象があります。

①仕事に命を燃やし、邁進する個人や企業についての番組
(カンブリア○○とかプロフェッショ○○とか)

②仕事をめぐる制度と現状の解離(長時間労働、妊娠出産との
 兼ね合いや、いわゆるブラック企業問題など)についての番組
(ニュース番組の特集とか教育テレ○の討論番組とか)

いつも違和感を感じるのは、どちらも、それを見る多くの人に
とって、あんまり地に足がついた感じがしないんじゃないかなぁ、
ということです。


働くことについて、だいたい皆さん何らかの悩みがあるのでは
ないかと思いますが、おそらく①も②もその「解消」のためには
役立たないことがほとんどだと思います。

 
①の番組に出てくるプロフェッショナルのように自分の仕事に
情熱を傾けるほど、いまの自分の仕事を愛せているのか、と
言われると、多くの人はうーん、どうでしょう、と唸るのでは
ないでしょうか。愛せよと言われてナカナカ愛せるものじゃない
ですしね。

さりとて、②のように、制度上の問題提起をされて、それは
問題だ、と思うまではいいですが、じゃあ、この「わたし」は
何をどうしたらええんじゃ、という話になるわけです。


今の仕事の中に何かを見出すのか。
別の仕事を探すのか。
そんなことをお悩みのあなたに。
今回は、働くことについて考える時に読んで良かった本と、
逆に読んでエライことになってしまった本をご紹介しましょう(笑)。

人生を盗まれない働き方 『ナリワイをつくる』





各所で話題になっていたのでご存じの方も多いかと
思いますが、オススメの本です。続編も出ていますし、
近い将来文庫化もされるかもしれません。

月収30万稼げるキツイ定職に懸命にしがみつくより、
月収3万程度の仕事(これを、本書ではナリワイと
呼んでいます)を10個確保するような生き方を提案
した本です。

まとまった収入を稼げる仕事というのは、実は競争の
激しい仕事であることが多いため、そうした競争に
向かない「非バトルタイプ」の人はすり減ってしまう、と
著者である伊藤さんは自身が医療系ITベンチャー企業で
働いて消耗した経験から分析し、それに対する
生き方≒働き方の提案として、「ナリワイ」を提唱します。

大手旅行代理店ではまず企画不可能と思われる
「モンゴル武者修行ツアー」や、使われなくなった
木造校舎を使った「婚礼プロデュース」、縄文式
発火法をマスターしたアイドルを売りこむ
「火起こしアイドルのマネジメント」など、様々な
アイデアをナリワイとして結実させたり失敗したり
している様が赤裸々に描かれます。

最低限幾らあれば生きていけるか、
何が得意か、何をしたいか、というところから、
小さなナリワイを作り育てていくという考え方は、
会社勤めしながら副業を育てる時にも使える考え方ですし、
思い切って会社を辞める際にも無理のない計画を立てる
時にも使える考え方です。

あくまで、無理な頑張りはいりません。

このまま会社ですり減って死んじゃうのかな、
みたいな絶望を感じたことのある方は、ぜひ手にとって
いただきたいです。

この本で示されているのは、あとで紹介する『シャドウ・ワーク』で
提起されている問題に対する、ひとつの処方箋だと思います。

仕事を我がものにする 『自分の仕事をつくる』




「働き方研究家」西村佳哲さんの本。

働き方について考える本としては、もはやスタンダードと
いってもいい本です。

「いい仕事」をしたり、仕事を「自分の仕事」として行うための
 ヒントを、現場に訪ねた本。

……と書くと、最初に挙げたテレビ番組のパターンの①に近いのでは、
と思われるかもしれません。

実際、この本のレビューでも、登場する人の職業や働き方が自分の
職業と隔たっているのでいまひとつ参考にならなかった、という意見も
見受けられます。

確かに登場する人がプロダクトデザイナーや建築家といった方が多いので、
いやいやそんな世界の話を聞いたって……と思う気持ちもわかります。

ですが、この本の一番美味しいところは、そうした人々の働き方から
西村さんが抽出しようとしているエキスです。

もちろん会社で働くことと個人で働くことを、対立的に
捉える必要はない。要は仕事の起点がどこにあるか、にある。


私たちはなぜ、誰のために働くのか。そしてどう働くのか。
「頼まれもしないのにする仕事」には、そのヒントが含まれている

と思う。
この本のコアとなる概念は、「自分で自分の働き方をデザインする」という
発想です。自分が仕事に何を求めているかを抽象化して整理するために、
この「西村哲学」に触れる価値はあると思います。


ドラクエ世代向きの労働観?
 『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』


 

タイトルからすると、ガンガン煽ってくる自己啓発書に
見えますが、読んでみるとかなり淡々と論理的な、
しかも地に足のついた本です。

ユニークなのは、『資本論』『金持ち父さん貧乏父さん』
という、まさにお金に関する本に書かれた理論を下敷きに、
お金を目指さない働き方を提案している点です。


『金持ち父さん貧乏父さん』は、「勝手にお金を生んでくれるもの」を
資産と呼び、こうしたもの(株式なり、不動産なり)を増やしていくことで、
「稼ぐために働く」ような「ラットレース」から抜け出すことを
唱えた本ですが、『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』
では、知識や経験、技術をある種の資産と見なします。


ものすごく大雑把に言えば、目先の現金になろうとならなかろうと、
「経験値稼ぎ」ができれば良しとする考え方もありじゃない、と
いうことになります。


これ、労働や苦しみに金銭的対価があるのが当然と思ってしまう
から、働くのが辛かったり理不尽だったりするわけで、例えば
無給薄給状態の徒弟なんて、知識や経験が身につかないのでしたら
ただのブラック企業社員状態ですし、 逆にこの考え方で自分なりに
納得できるならば、ある種の修行やノウハウ蓄積のためにブラック企業
で働く、という選択だってアリなのです。

……という結論そのものは、実はそんなに目新しいわけではないですが、
経済的な理屈の積み重ねから、非経済的な「資産」の
積み上げを 推奨するという切り口が面白いです。


自分の生がどんなシステムに絡めとられているのか
 『シャドウ・ワーク』

   

さて、ある意味今回ご紹介する中ではジョーカーとも言える
本です。独特な用語や論理のスキップが多いので、
様々に語られる本です。

なので、私の紹介の仕方にも「その理解では浅い、間違っている」と
思われることがあるかもしれませんが、そのあたりが気になる方は
コメントででもご指摘いただければ幸いです。

著者のイリイチという人は、特定の肩書きにおしこめるのは難しい
人で、作家であり神学者であり歴史学者であり社会学者であり……
とにかく面白い人なのですが、私の理解する範囲では、
先人たちの築いてきた諸制度が今度はその構成員たちの生を
いかに絡め取り、制限してしまうか、ということに深く危機感を
抱き、警鐘を鳴らした思想家です。


「ジェンダー」という概念や「医原病」といった概念は、イリイチが
提唱したものと言えば、その業績の凄さが少しは伝わるでしょうか
(いずれの概念も、今日ではイリイチの問題意識からはだいぶ
ズレた使い方をされているように感じますが)。

この本は数本の互いに独立したエッセイからなりますが、その中で、
表題でもある「シャドウ・ワーク」という言葉は、

「産業社会が財とサーヴィスの生産を必然的に補足するものとして要求する労働」

……と定義されています。その代表例が、家事であったり、介護で
あったりするわけです。

で、そういったものの一部がさらに分断され、金銭により外注可能な
サービスとなっていくわけです。


その際にその分断の境目にあった「何か」がこぼれ落ちていくことで、
人の生き方は、本来そうであったものから遠のき、制度に仕えるための
ものになってしまう、という点をイリイチは問題視しているのです。
 
「主婦の労働は、賃金に換算するといくらいくらなのだから、
もっと大事にすべき」という類の言説はよく聞かれますが、これは
イリイチの問題意識のきわめて浅いところしかなぞっていない。

むしろ、金額に換算して表現されないと労働を実感できない
というのは、人の労働を推し量る尺度までもが、経済原理・貨幣制度に
絡め取られてしまっていることの証でもある
わけで、生まれながらに

そうした社会にいる我々にとっては、おそらくトコトン根が深い問題
なのです。


この本より前に紹介した3冊ではモヤモヤが解消しきれなかった
方には、一読をオススメいたします。

……もっとモヤモヤするかもしれませんが(笑)。

これ読んでモヤモヤしたら「第4冊 偉人の父は、エラい奴だった 『夢酔独言』勝小吉」でも
読むといいかもしれません。

なぜイリイチの本がわかりにくくなるか、ということは結構重要な問題で、
それについても私見はあるのですが、長くなりそうなので、稿をあらためて
書きたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿