『神々の沈黙』ジュリアン・ジェインズ
第一部完、次回作にご期待ください! → 著者、他界
続編書くよ、と宣言されたまま書かれない
本というのは一杯ありますが、ただ書かれないだけなら
まだしも、書かれないままに著者が他界してしまう、
というのはあまりに切ないパターンであります。
本書は、その典型的な例です。
人間の意識って何だろう、というところに
挑んだ本は多いですが、この本は、古代文献や
古代遺跡の研究から、
3000年ほど前まで、
人類に「意識」はなかった……という、
驚きの仮説に到達します。
「意識」はなかった、と言っても、みんな気絶してた、って
意味ではもちろんないです。
この本では最初の方で、
意識とは何でないかということを
掘り下げることで、意識とは何か、ということを定義します。
その結果、意識とは、
「
比喩から生まれた世界のモデル」
「
言語に基づいて創造されたあのアナログ世界」
ではないか、という 結論に達します。
……要するに、「
人間は頭の中に言葉に基づいた
バーチャルな世界を構築し、それを使って考えている。
これが意識ではないか」という定義に行き着くわけです。
人間は、意識があるから葛藤する。好きだけど嫌い、とか、
イヤだけど長い目で見たらメリットあるかも、とか。
だけど、意識のない頃の人間には葛藤がなかった。
なぜなら、
神の声が聞こえたから。
意識に先立って、幻聴に基づいたまったく別の精神構造があった
というのが、本書の肝となる仮説です。
駆け足で説明すると、何じゃそりゃという感じがすると
思いますが、ジュリアン・ジェインズは、メソポタミアや
ギリシアの古代文献、それに旧約聖書を淡々とひもとき、
それを証明しようとします。
天の神様の言う通り
例えば、ホメロスの『イーリアス』。
現代の小説であれば、葛藤やら何やらが描かれて然るべき
場面が、神の声によってあっさりと行動が決定されてしまう。
『イーリアス』に出てくる人々は自らの意思がなく
何よりも自由意思という概念そのものがない
「てーんのーかーみーさーまーのいーうーとーおーりー♪」
……という歌遊びがありますが、まさにそれを地でいく
世界だった。
神の声が直接に聞こえていたような記述が続く時代には、
意志や意識という意味合いに解釈できる言葉がなく、
逆に、時代が下り、人々に神の声が聞き取れないという
記述が増えてくると、替わって意志や意識を意味する
言葉が増えてくる。
かつてその神の声は、現代の我々が「幻聴」と呼ぶ現象として、
人の行動を支配していた、というわけです。
この神の声を聞けた心の状態をジュリアン・ジェインズは
Bicameral Mind
バイキャメラル・マインドと名付けました。直訳すれば、二院制の心。
邦訳では、<二分心>とされています。
自由意志がなくて、頭の中から響いてくる神の声に従って生きるって、
どういうことだろう……?本書には、以下のような記述があります。
個人的野心や個人的怨恨、個人的欲求不満など、
個人的なものは一切存在していなかったが、それは
<二分心>の人間には一個人になるための内なる「空間」も、
一個人になるべきアナログの<私>もなかったからだ。
「個人」なるものがなかった。「私」なるものがなかった。
だから心理的葛藤もなかった。意思決定のストレスもなかった。
現代人が非科学的と思いながらも、意思決定に悩むときに
占いに救いを求めたりするのは、その名残りかもしれません。
神様からの親離れ~意識の獲得
個人的なものが一切存在しないのであれば、同じ神が導く限り、
その小さなコミュニティは比較的平和であったことでしょう
(神が喧嘩しろと命じたら別でしょうけど)。
ただ、古代史を調べると、<二分心>時代の国家間の関係は、
敵対か友好の両極端だったようです。たしかに利害が違う「別の神の民」
に対して神が発する声が、「ナカヨク!」か「ヤッチマイナ!」
の両極端になりそうなのは、それなりに納得できます。
『動物感覚』でも、動物に
葛藤はなく、愛憎入り交じった感覚
なんて持たず、愛憎どちらかだけになる、という話がありましたが、
古代人たちもそうしたメンタリティの持ち主だったのかもしれません。
また、<二分心>時代の国家は、ある程度以上の規模になると
あまりはっきりした外的要因がないままに崩壊する事も
ままあったようです。これも、ひとつのコミュニティに属する
人々の頭の中に聞こえてくる「神の声」のブレやズレを、
制御しきれなくなったらコミュニティが崩壊する、という感じで
考えれば確かに納得できます。
その後も文字の隆盛や異種族間の接触の増加、火山噴火による
緊急事態の連続などにより神はどんどん「黙り」はじめます。
こうして、次第に神の声を喪った人類は
、「意識」を持ち、
切り離された「個人」となり、個人と個人の「間」が空いた存在、
すなわち「人間」になったのです。
別れても、好きな神
憑依現象や催眠現象、詩や音楽の芸術、統合失調症といったものは、
神の声が聞こえた、<二分心>状態の名残ではないかと本書は説きます。
そして科学でさえ、神を喪った人間が、神の声、あるいはその代わりの
何かを求めているものではないのか、と。キリスト教と科学はある意味
親子のような関係だった、という歴史を知っていると、この辺は読んでいて、
ちょっとグッときます。
<個人>たる<私>に分かたれた人間が、その孤独に耐えきれず、
<二分心>モードに戻りたいと欲している面がどこかにある、というのは
よく納得できるように思います。そうでなきゃ、占いやらスピリチュアリズム
やら自己啓発やらがこんなに大手を振っていないでしょう。
余談ながら、本書を一読して思ったのは、ジュリアン・ジェインズが
存命だったら、『機動戦士ガンダム』とか『新世紀エヴァンゲリオン』を
観てみてほしかった、という思いです。「ニュータイプ」とか「人類補完計画」とか、
<二分心>モードっぽいので。あとは、白川静の本とか。
クラークの『幼年期の終わり』とかは、もしかしたら読んでいたかも。
勝手に続編予想したくなる名著
本書で予告されていた続編、『意識の帰結』は、ジェインズ亡き今、
もう書かれることはありませんが、私なりに、『神々の沈黙』の
延長上にどんなことが論じられるか(論じられてほしいか)、
妄想してみたくなります。
胡散臭くも壮大な<二分心>仮説、ぜひ、一度は
触れてみてください。すごく頭良くなった気分が
味わえます(笑)。
蛇足:勝手に続編予想
おそらく、未知の続編『意識の帰結』は、駆け足でしか触れられなかった
<二分心>を失って、替わりに意識を得た我々、現在の人類を
よりクローズアップしたものだったと思われます。
自我や自己に関する哲学的な諸問題を、<二分心>仮説を
敷衍してぶった切っていく時に、大事になるのは、いわゆる
自同律の不快(by
埴谷雄高)と我々との付き合い方では
ないかと思います。
<私>であることは、結構たいへんだし、時として、不快なのです。
「自分探し」とは、結局、「探す」という言葉のもとに、今の
<私>から逃走し続けることです。
※ 余談 アドラー心理学が受けているのは、この自同律の不快に
対して「イヤなら、その自分、やめれば?」と言ってのける
思想だからだと私は考えていますが、それについては稿をあらためます。
まあ、逃げたくなるのも、やむなしか、とも思います。
何せ、これまで<神>がいた座に生まれたのが<私>
なのです。自分の<神>を自分で担当するんですから、
これはちょっと、親離れといっても大仕事です。
ゆえに、
<私>であることをチョットやめられる状態を、
人は求め続けているように思えます。酒への耽溺も、
スポーツへの熱狂も、アイドルのライブでの狂騒も、
匿名掲示板の「祭り」での暴走も。
そう、人には「祭り」が必要なのです。
だから人類は、より新たな「祭り」を生み続けてきました。
文学、音楽、演劇、映画、マンガ……そしてゲームやSNS。
……その結果、現在は、おそらく祭りだらけなんです、
至るところが。民俗学でよく言われる、ハレとケの
逆転現象は、もはや究極にまで至っているのではないかと
思います。
おそらく『意識の帰結』は、この
ハレだらけになった
世界と意識の付き合い方を考えさせてくれる本に
なるはずだったのだと思います。
その具体的方法は、一言で言えばおそらく「
身体性への回帰」
ではないかと思うのですが、これ以上深入りすると終わらない気が
するので、また稿を改めます。
……なんてことを語りたくなるくらい、凄い本なんです、これは。
おまけ 関連しそうな本など
かつての、葛藤のない脳内世界がいったいどうなるか、というのは、
ジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳』が参考になるかもしれません。
こちらの本では、脳科学者である著者が、自らが脳卒中になり
左脳の一部が機能不全に陥った時のことを書いていますが、
左脳の機能がどんどん喪われていく中で、宗教的にも思えるような
安らぎの境地、著者曰く「
涅槃(ニルヴァーナ)」を体験しています。
奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫): ジル・ボルト テイラー
※こちらは薄くて、わりあい簡単に読めます。中身は濃いです。
あと、意識は後付けの機能に過ぎないとする、「受動意識仮説」を提唱する
こちらの本たちも、『神々の沈黙』と併読するとより深く納得できるかもしれません。
脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫): 前野 隆司
錯覚する脳: 「おいしい」も「痛い」も幻想だった (ちくま文庫): 前野 隆司:
あと、意識は現実から0.5秒遅れだ、みたいな話に関連して、
忘れてはいけない名著、
Amazon.co.jp: ユーザーイリュージョン―意識という幻想: トール ノーレットランダーシュ, Tor Norretranders, 柴田 裕之: 本
また、20世紀最大の神秘思想家といわれるグルジェフは、
彼が連想器官(フォーマトリー・アパラタス)と呼ぶ、
言語による果てない連想を促す器官のはたらきを弱めることが、
覚醒への道だと説いています。これは、『神々の沈黙』の読後だと、
<二分心>状態への回帰を目指しているようにも読めます
(ジェィンズはグルジェフの著作からもインスパイアを得ているかも
しれません)。